2020年6月15日月曜日

知れば知るほど好きになる~! 香港  『上環(ションワン)』編

台湾、台湾と続きここで一息!?
香港ネタと参りましょう・・・・・
知ればシリーズを!
今回は上環です。

香港の発展は英国人によってもたらされたものですが、上環の発展は違いました。
上環は香港人の主要な居住地で、英国人や外国人の殆どが中環に住んでいました。
1843年、政府は中環の発展の為に中環に住んでいた香港人を上環に移住させました。
その結果、上環の人口密度が急上昇し衛生環境が甚だ悪化しました。
1894年、鼠疫(ペスト)が香港で発生しましたが上環の太平山区が最もひどい状況となりました。後に政府は疫病防止の為に太平山区の不衛生な建物を取り壊し、更に住居環境の規則を制定し衛生環境を改善しました。
上環の太平山区は住宅街、沿岸部は商業街となっています。
沿岸部には三角埠頭があり、広州やマカオとの交易が盛んでした。
その中でも文咸西街は南北貿易の貨物が集中していましたので、
「南北行街」と呼ばれていました。

上環のシンボル的な建物と言えば文武廟で、1847年に文昌帝と武帝を祀る廟として建てられました。
その頃は、争いごとがあると関係者が文武廟に集まり、神のお告げで裁決していまいした。
文武廟は民間の裁判所の役割もしていました。
今日、上環は昔日の面影はなく香港の経済の中心から外れた感があります。
経済の形が変わってきた為であり、例えるなら上環は老人となってしまい、
中環やその他の地域が成年として経済を廻していると言った状況です。


ここが150年にわたって植民地支配をされた香港の始まりの場所
 
 
上環に纏わる記事は下記です。  ⇓



香港で最も古い!? レンガ造りにうっとり~ 『西港城 Western Market』 


上環(ショゥンワン)~中環(ジョゥンワン)さんぽ⑤ 『香港医学博物館』 『孫中山記念館』


やっと行けた! 120番トラムが連れてってくれました 『海安珈琲室』 in 上環


騎樓巡り  上環編


上環(ションワン)にある『孖沙茶餐廳 Ma Sa Restaurant』   


上環の皇后街熟食市場 『ABCキッチン』 で本格イタリアンを食す♪


文武廟は訪ねているんですが写真が見つからず・・・・・・
まだまだお伝えした上環あるんですっ!


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2020-06- 

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