2019年3月7日木曜日

知れば知るほど好きになる~ 香港! 『觀塘 (クントン)』編

知れば知るほど好きになる~ 香港!シリーズ第2弾は・・・・・・
『觀塘 』

觀塘 と言えば、、裕民坊ですね。
再開発で取り壊され、ビル建設が進んでます。
とうとう、MTR線路沿いにあるビルも魔の手が下されました。
昨年12月に撮影
裕民坊大廈
竹の足場が組まれてます。

右から裕民坊大廈、國泰大樓

國泰大樓
次回の訪港の時にはこの姿は見られないでしょう~

觀塘は九龍東南部に位置し、古くは官塘と書かれていました。
現在の九龍灣西北及び西南沿岸、啓徳空港北西から土瓜灣までの一帯と示し、
ここには製塩所があり、「官富場」と名付けられていました。
南宋時代には生産量が少なくなり、沙頭角にあった「畳福場」に合併されましたが、
その後生産量が回復して元に戻り、元時代には「官富巡司」と改名され、
更に明の時代には「官富巡検司」と改められました。
製塩所の管理署長は、この一帯を管轄していた事から、後に製塩所がなくなっても、
管理する為に巡検司は残されました。
アヘン戦争後、「官富巡検司」は九龍城内に移され、「九龍巡検」と改名、
これによってこの辺り一帯を「九龍」と正式に呼ぶ様になりました。

清朝末期、觀塘 区の管轄の中心は今日の茶果嶺にあり、牛頭角、茜草灣、
鯉魚門と合わせて「四山郷公所」が設置されていました。
この頃はまだ地元民には「官富」や「官塘」と習慣的に呼ばれていましたが、
1953年、政府発展局が正式に「觀塘 」と命名しました。
(未だにミニバスに「官塘」と書かれている事があります)

觀塘は人々に社老区の間感覚を与え、実際、觀塘の中心は東九龍区とし、
そこに高さ270m以上の高層商業ビルを建築し、この地区の指標としました。

ショッピングセンター「apm」
在住間もない頃にこちらで西野カナさん観ました。

王室の紋章が刻まれたポストを探しに、
工業ビルの屋上でBBQしたり、
鴻圖道は映画撮影地、
大王爺廟を訪ねてみたり・・・・・・と色々巡ってます。
詳しくは下記をご覧ください。

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駅前は様変わり中。
しかし、1本入るとまだまだ昔を感じる場所もある。
変わらないでいてほしい。



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2019-03-

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