2019年5月7日火曜日

知れば知るほど好きになる~香港! 『尖沙咀』編

10連休明け、お仕事されている人や学生さんは今日から稼働ですね。
顔晴って下さい。
連休でゆっくりしていたわりにアップが遅れ遅れになってしまってます。
お許しを~
さて、今回の記事は結構人気がある『知ればシリーズ』。
今回は観光客は1度は必ず足を運ぶ先『尖沙咀』をご紹介したいと思います。


尖沙咀は又の名を香埗頭とも言い、香料を積み出す埠頭を意味します。
昔は東莞一帯に香木が栽培されており、香木の幹や根から樹液を取り出して
香料にしていました。その為、莞香とも呼ばれていました。
尖沙咀の名前は明代に編纂された「粤大記」に出てきます。その中で、この地が
長く尖った沙灘となっているのでこの名前が付いたと書かれてあります。
100年以上前には、この辺りに尖沙頭村とか尖沙尾村と言った名前の村もありました。
尖沙咀の歴史において最も重要で見過ごせないのは「林維喜案」です。
19世紀のアヘン戦争が起こる前には、尖沙咀の海にはたくさんのアヘンを積んだ船が
停泊していました。アヘン商人はこの地で内陸船に積み替え広州へ売りに行っていました。
1839年、英国の水兵が酒に酔って尖沙咀村の林維喜を殴打しました。
この事件をきっかけに官涌の戦い及び九龍の戦いになり、アヘン戦争の序幕が開いたのでした。
英軍を倒す為に、林則徐は1840年に尖沙咀及び官涌山に砲台を作りましたが、戦争後、
英軍の物となりました。今日、これらの砲台は一部の遺跡を残すのみとなっています。
この悲しい歴史の他に尖沙咀は鉄道史においても重要な位置にあります。
1910年に九廣鉄路が開通し、1916年3月28日には尖沙咀駅が落成、その中でも
代表的で今も残っている鉄路鐘楼は1921年に作られました。1975年11月、
尖沙咀駅は紅磡駅に移され、駅舎は取り壊しとなりました。



老舗ホテル ペニンシュラホテル

ヘリテージ1881
一度は訪れますよ。

以前出現していたダック





下記が尖沙咀に関する記事です。

彌敦道沿いにある騎樓
尖沙咀にある騎樓⇒ 

かわいい教会⇒ 

ヴィクトリアハーバーが見える場所⇒  ☆ ☆

かわいい飲茶が食べられる⇒  ☆

王室の紋章が刻まれたポスト⇒ 

ヴィクトリアハーバーに停泊中の船に時を知らせていた塔
訊號山花園(シグナルヒルガーデン)⇒ 

澳門茶餐廳

星座冰室

茶餐廳等飲食編⇒     


記事はそれぞれの記載年月の為、情報はご確認の上、訪ねて下さいね。


最後まで、読んで頂き、ありがとうございます。

下の写真をクリックして頂けると、嬉しく励みになります。
 

2019-05

0 件のコメント:

コメントを投稿